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私と石見神楽(特設)
大阪万博の時代から、各地の公演づくり、そして浜田への案内まで。生活者としての歩みと学びを、匿名性に配慮して記す。
実在個人・団体が特定されないよう、固有名は一般化・匿名化している。年次や出来事は私的記録に基づく回想だ。
はじめの出会い(大阪万博のころ)
1970年ごろ、同窓会で旧友から石見神楽の話を聞いた。都市部で働く身にとって、郷土芸能は遠い存在だったが、この再会が道を開いた。
- 社内の雑談が企画の芽になった。「営業の場に郷土芸能は使えるのか」「予算はいくらか」「知名度は十分か」。
- 会議では少数賛成・多数反対。だが「まず一回やってみる」方が話が早いと考えた。
最初の実施(九州エリア)
九州の食品流通団体に理解のあるリーダーがいて、総会での説明を経て開催が決まった。以後、県内各所での小公演が続き、月に三度の実施もあった。
実務で直面した点
- 出演謝礼のとりきめ(現地支払/後払いの線引き)。
- 移動・宿泊の段取り(演者の体調・荷物動線)。
- 舞台の照明・音響の確保(ホール常設機材と相性)。
- 来場者の反応(初見の驚きと、リピーター育ち)。
メモ(匿名化)
- 九州 地域の流通組織:決裁が早く、試行に向いた。
- 社内 多数は懐疑的。ただし実績が出ると評価は変わる。
- 広報 事前説明よりも「体験してもらう」が強い。
中部での挑戦(名古屋・三重・岐阜)
転勤先で、販売促進と連動した催事として神楽を実施。最初の都市ホールでは集客が伸びず失敗に近かったが、翌年は協力体制が整い長蛇の列となった。
都市ホールの失敗と反転
- 初年:来場は数百名規模で伸び悩み。企画の意図が伝わらず、郷土色が弱い地域では話題化しづらい。
- 翌年:前回経験者が自発的に広報・動員を支援。開場前から列ができ、満員に。
- 放送関係者は舞台性に注目。露出が後押しとなった。
地方都市での公演(雨天の教訓)
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初年は悪天候で来場が伸びず。
三重県津市での公演でしたが、当日は雨と風が強く、津市民会館の入口は雨水で
あふれておりました。一日二回公演ではありましたが、少ない観客にもかかわらず、
主催関係者は必死に対応しており、その姿勢が深く印象に残りました。
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翌年は「昨年の借りを返す」と主催側が総力体制で臨み、昼夜とも満員。
前年の出来事もあり、「同じ規格で再挑戦したい」という主催者側の強い思いから、
再び津市民会館での昼夜二回公演が企画されました。当日はどちらも超満員となり、
会場全体が熱気に包まれました。
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関係者120名超が達成感を共有した。
出演者・裏方を含め120名を超える関係者が、成功の喜びと達成感を分かち合う
特別な公演となりました。
医療関係者の浜田案内(東海エリア)
地域医療関係者の旅行で浜田を案内。温泉宿泊、神楽見学、窯元での絵付け体験、海食地形の見学などを組み合わせた。
- 窯元の絵付けは好評。体験要素は満足度が高い。
- 海岸の観光地では臭気への苦情が複数回。受け入れ環境の整備の必要性を痛感。
行程の型(私案)
- 夕:温泉宿 → 夜:神楽 → 翌朝:海岸散策 → 午前:窯元体験。
- バス導線と駐車の事前確認は必須。雨天代替も用意。
広島での学び(表現の更新)
広島圏の神楽に触れ、動き・照明・音響など舞台性の工夫を学んだ。従来の型を守りつつも、見せ方の更新が観客層を広げると実感した。
- 手紙で舞台づくりの所感を届け、交流のきっかけに。
- 「環境(音・光・導線)」が体験価値を底上げする。
提案と働きかけ(清掃・舞台環境)
退職後、浜田市内の観光資源の清掃・臭気対策、神楽の舞台効果(照明・幕・煙の安全)など、所感を手紙で届けた。
- 海岸景勝地の定期清掃と臭気対策の要望。
- 神楽上演時の火・煙の扱いと避難導線の明確化。
- 「まずは実験→データ公開→段階的整備」の手順を提案。
匿名化メモ
特定の部署名・担当者名は記さない。提案は「仕組み」に焦点を当て、誰が替わっても続く形に落とす。
小さなエピソード
- 出会いのきっかけ(2016年秋)
2016年の9月末ごろ、浜田市の某居酒屋で、私が夫婦で飲食していた際、偶然同じ店で R さん一行と出会った。
R さんは翌年「SAMURAI challenge 2017」として、クラシック車約60台・総人数150人(医師、看護師、整備士を含む)の日本一周旅行を率いる企画責任者で、同行者は同時通訳2名と運転手1名の計3名であった。
私から石見神楽のことを紹介すると大変興味を持たれたため、その日の夜ではあったが知り合いの神楽社中へ連絡し、神楽練習場を訪問して紹介した。時間は夜10時を少し過ぎていたが、R さんも通訳も非常に驚き、強い興味を示された。
見学後はホテルまでお送りしたが、その帰り際に「来年の日本一周の企画に石見神楽を採用する」との約束をいただき、同時に「私たち夫婦も必ず招待する」とのお言葉をいただいた。
- 翌年の春(2017)
前年約束の通り再訪され、石見地域を訪問された。浜田港で歓迎行事ののち、石見銀山、出雲大社を見学された。(事前に、出雲大社に非常に親しい親戚に事情を話しており、当日の見学時に普段見学しない場所にも参拝するなど、大社側の配慮に大変感激したとの事でした。)
その後、宿舎の松江一畑ホテルに宿泊された。
その日の夜、前年の約束通りに私たち夫婦に招待状をいただき、夕食会に参加した。私もお土産として、クラシック車一台に一個ずつの小さな岩見焼(60個)を絵付し(日本の石見焼であると壺の底裏に年も含め焼いた)、お礼とした。
もちろんその夜は石見神楽も上演され、「ブラボー、ブラボー」と大変な賑わいでした。なお付け加えると、代表のRさんには石州和紙の扇子を2個、お土産として届けた。
- 翌年 2018年春以降
翌年、2018年春にイギリスから前年の旅行の記念のアルバムが私宛に届いた。
また文面の最後には「2020年秋に再び SAMURAI challenge 2 を企画予定」との事も記されていた。
再会を約束されていたが、コロナの関係で中止になりました。
学び(要点)
- まず一回やる: 会議より実演。体験が次の賛同者を生む。
- 舞台環境: 音・光・導線を整えると満足度が一段上がる。
- 受け入れ環境: 臭気・清掃・案内表示で印象は大きく変わる。
- 匿名の配慮: 個人名・社名は避け、役割と学びで記録を残す。
- 連続性: 雨で失敗しても、翌年の総力で反転できる。
このページは私的回想であり、公式記録ではない。誤りに気づいた場合は随時修正する。