生活者の目線で、浜田を綴る。

このサイトは私個人の経験と意見にもとづく私見です。数字や史実は確認しつつ、誤りがあれば直していきます。

自己紹介 私について

現在75歳。人生100年時代の折り返しに、ふるさと島根県浜田市の息づかいを、私の言葉で残しておきたいと思いこのサイトを始めました。若いころから仕事で各地を回りましたが、心はいつも浜田にありました。

なかでも石見神楽は私の背骨のような存在です。37年前、福岡で神楽を初めて紹介して以来、福岡・名古屋・津など各地での催しに関わり、浜田への神楽見学旅行も30回以上手伝ってきました。舞い、囃子、衣装、火の匂い—その一つひとつが、働く日々を支えてくれました。

私は歴史好きです。広島時代に『浜田城炎ゆ』に出会い、浜田の歴史の奥行きに震えました。読み終えるや、取引先や友人、会社仲間へ30冊以上を贈り、「この土地の物語をもっと知ってほしい」と願いました。城や武将の栄枯だけでなく、港や街道、祭りを支えた名もなき人々の営みこそ、いまの私たちの暮らしへ続いています。

私は浜田が好きです。そして、好きだからこそ発展させたい。大仰なことはできませんが、生活者の目で見つけた“良いところ”を磨き、困りごとには小さな改善を積み上げたい。このサイトは、そのための私的な記録であり提案のノートです。

※文章・提案は私見です。気づき次第、少しずつ手を入れていきます。

みどころ 楽しみと体験

亀の手(セイ)—磯の一口体験

浜田の磯では珍味亀の手(セイ)が採れます。地元では見慣れていますが、都市の方には強い驚きと記憶に残る体験に。

  • 旅館やホテルの小鉢/味噌汁の出汁で「一口の驚き」。
  • 採取・提供は法令・安全・衛生の確認が前提。

石見神楽—鑑賞のコツ

開始時刻に余裕を持つ/席と視界を早めに確保/撮影可否の確認/帰路手段の準備。夜神楽の翌日に神輿巡幸がある地区は、連続で観るといっそう楽しい。

美又温泉—静かに浸かる小さな湯

大規模観光地のにぎわいとは違う、川沿いの静けさが魅力。夕暮れの散策や、夜の灯りの下での湯上がり時間が心地よい。

体験メモ

  • 地引網(久代):最少10名、目安5万円~、天候で中止あり。
  • 絵付け体験(窯元見学):1週間前予約、1人1000円(焼成・送料別)、2~40名、約2時間。
  • 地域の歌会:吹奏楽経験者と歌い手のフルバンド歌唱(不定期)。

歴史 浜田の歩み(私的抄)

港と街道の要衝、山陰の押さえとしての役割、そして在地の人々の営み。以下は私が集め、心に残った要点です。

浜田という名の起こり/式内社
  • 905–927年の『延喜式』『神名帳』に通称式内社の記載。石見圏に34社、那賀郡に11社。現浜田域では石神・三宮・久代・伊甘(下府)などが見える。当時すでに集落があったと考えられる。
  • 1020年頃、中納言常方が郷下向し、潮の満ち干を利用して田を開く。「浜を田に開いた」ことから浜田の名がついたと伝わる。最古の「浜田」地名は1443年の奉納文書とされる。
戦国~近世初期:古田家と浜田城
  • 関ヶ原後、石見は一時天領。港湾の重要性を理解した古田重治が着目。1619年入部、1620年築城開始、1623年城下完成。山陰道と港を見据えた立地。
  • 重治の後、重恒が家督。跡目問題もあり、1632年頃に断絶。城下は1619~1650年頃に概成、浜田から周囲へ五街道(山陰道等)が延びた。
松平周防守家の入封と転封
  • 1649年、松平周防守家(松平康映)入封(以後5代)。北前船の寄港や御客船帳に麻製品・干鰯・鉄・半紙、のち瓦・石見焼などの積荷が見える。
  • 1759年、本田家入封(八~十代まで)。九代は真田信之の血を引く縁も。
  • 1769年、松平康福が岡崎より再入封、加増で6万1千石に。1825年頃、外ノ浦に廻船問屋21軒、繁栄の記録。
幕末:石州口の戦いと退去/近代への転換
  • 1866年、石州口の戦い。浜田・福山・津和野・紀州・松江・鳥取等 計2万余が動員。一方、長州は大村益次郎の指揮で装備・統制が優れる。
  • 6/16 扇原の戦い:岸静江(150石)が壮烈な戦死。長州軍は葬送・石碑費用を負担。
  • 6/17 市街戦:浜田幕府軍戦死34、長州27。目付・三枝刑部戦死。武聡(松平家)病中ながら指揮、最終的に城・屋敷を焼いて総退去へ。
  • 1867 鶴田藩設立(旧浜田藩)。1868 鳥羽伏見で幕府側派遣、のち維新へ。1870 浜田県設置、のち島根県に合併(1876)。
  • 1872 浜田大地震:全壊4,300戸の被害。1921 鉄道開通・浜田駅。
在地の系譜:益田氏と七尾城
  • 祖は藤原国兼。1192年、御神本兼高が益田へ移り益田氏を称す。七尾城を本拠に地域を支える。在地一族の抗争・合従連衡を経て、毛利のもとで各地に出兵。
  • 関ヶ原後も毛利に従い、永代家老として長州へ。のち幕末に益田親施が長州で要職、禁門の変後に責任をとり切腹。
近代の影:浜田歩兵第21連隊
  • 明治以降、歩兵第21連隊が浜田に置かれ、街の経済や社会に影響。演習地や顕彰など地域の記憶を今に伝える(別稿で年表化予定)。
断片年表(拾い書き)
  • 1443:奉納文書に「浜田」地名。
  • 1619–23:古田重治入部・築城。
  • 1649:松平周防守家入封。
  • 1825頃:外ノ浦に廻船問屋21軒。
  • 1866:石州口の戦い。
  • 1872:浜田大地震(全壊4,300戸)。
  • 1921:鉄道開通・浜田駅。

※上の記述は私見の抄です。誤りや補足があれば今後も手を入れていきます。

提案 私の考える磨き方

畳ヶ浦:清掃と導線の再設計

  • 観光前の定期清掃(年3〜4回)の仕組みづくり。
  • 駐車・導線の案内を写真+矢印で簡潔に(入口にQR音声案内)。

石見神楽:上演環境の底上げ

  • 舞台幕・背景・照明・音響を神楽仕様に(最低限の投資)。
  • 火・煙の扱いに関する許可・安全導線の整理(市の横串支援)。

美又温泉:選択と集中

  • まずは社会実験(川床・夜店・屋台)→ 来訪と滞在の実測公開。
  • 広報より現地体験の質を先に上げる。

地域文化の体験化

  • 地引網は地域メンバー参加型で“浜の時間”をつくる。
  • 絵付けは統一条件(予約・料金・所要)を掲示し、バス導線を整理。

地域の楽しみ:カラオケ×フルバンド

  • 年2回の“一夜歌会”を実施。録音・写真の公開ルールを先に合意。

※上の提案は私見であり、関係各所の方針・最新の規制に従います。

健康ノート 人生100年時代と脳卒中

浜田を長く楽しむために、家族で共有したい要点を短く残します。迷ったらためらわず119番へ。

前兆・急性のサイン

  • 半身の麻痺・しびれ・脱力、手の力が急に抜け物を落とす
  • ろれつが回らない/言葉が出ない/理解しづらい
  • ふらつき・バランス障害、立てない・歩けない(力はあるのに)
  • 視界が欠ける/二重に見える/片目のカーテン感
  • 「いつもと違う」激しい頭痛・めまい・吐き気

FAST(1つでも当てはまれば通報)

  • F:顔の片側が下がる
  • A:両腕を上げて片腕が下がる
  • S:言葉がもつれる
  • T:発症時刻を控え、すぐ119番

家族の行動の要点

  1. 119番に症状発症時刻を伝える(例:「10:15頃から右手が動かない」)。
  2. 到着まで安静(嘔吐時は横向き)。飲食・内服はさせない。
  3. おくすり手帳・服用薬・基礎疾患メモ、身分証を準備。

※一般的な説明であり診断ではありません。異常を感じたら迷わず医療機関・119番へ。

© 2025 浜田 私的ローカルガイド|個人の見解に基づく記録